寄り添うキモチ。
2006年 10月 05日
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どういう訳だか、昨日から今日にかけて・・・遠方からもごく身近な処からも、様々な知らせが次々と飛び込んでくる。内容は悲喜交々、だがどちらかと言えば哀しい知らせの方が多かった。
今はきっと、そういう廻り合わせの時なのだろうと思う。
そう、今までの経験から言っても、コトが起こってくるのは何故かいつも同時・・・それも、内容が存在の内面に深く関われば関わるほどそうなのだ。
知ったことでその後の己自身が、どう考え、どう動くか。時々、密かに試されているのではないかとすら思えてくる。
己がどんな状態であっても、心はちゃんと寄り添えているか?
瞳は曇らされていないか? 言葉の中に光は見えるか?
人間は本来孤独な存在ではあっても、決して独りではない。その上、日々当然のように享受している物事のひとつひとつが如何に奇跡的であるかを思えば、たとえ何が起ころうと腹は括れるもの。
いや・・・何にも況して。決して語り得ぬものと知りながらも、その只中に飛び込んでこそ見える真実にほんの一瞬、ほんの僅かでも触れられようものならば。
己の中に満ち溢れるのは、驚嘆、賛美、感謝の心。ただそれだけなのである。
最後に。
本日、亡くなった事を知らされた友人の犬の冥福を祈って・・・合掌。
今はきっと、そういう廻り合わせの時なのだろうと思う。
そう、今までの経験から言っても、コトが起こってくるのは何故かいつも同時・・・それも、内容が存在の内面に深く関われば関わるほどそうなのだ。
知ったことでその後の己自身が、どう考え、どう動くか。時々、密かに試されているのではないかとすら思えてくる。
己がどんな状態であっても、心はちゃんと寄り添えているか?
瞳は曇らされていないか? 言葉の中に光は見えるか?
人間は本来孤独な存在ではあっても、決して独りではない。その上、日々当然のように享受している物事のひとつひとつが如何に奇跡的であるかを思えば、たとえ何が起ころうと腹は括れるもの。
いや・・・何にも況して。決して語り得ぬものと知りながらも、その只中に飛び込んでこそ見える真実にほんの一瞬、ほんの僅かでも触れられようものならば。
己の中に満ち溢れるのは、驚嘆、賛美、感謝の心。ただそれだけなのである。
最後に。
本日、亡くなった事を知らされた友人の犬の冥福を祈って・・・合掌。
by misa_diary
| 2006-10-05 00:00
| diary
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