ひびのことのは。

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ことだまのさきはふくに。
2006年 06月 07日 |
実は今日、ハタと気づいたのだが。
このブログ、一応『ひとこと日記』と銘打ってはいるものの、載せた記事は何故かひとつとて一言で済んでいるタメシがない。どころか、長々と取り留めのない雑談、若しくは読書感想垂れ流し日記と化しているような感すらある。
これでは正に看板に偽りあり、ではないか。

いや。最初は本当に、日々思ったこと感じたことをほんの一言だけ書くつもりで始めた筈なのだが・・・忙しいときに限って全く関係ない何かをやり出すと止まらない、という長年の悪癖は如何ともしがたく。
まぁ、言葉も出てくるうちが花・・・と言うか、自分から言葉を取ったら何も残らなくなるのは目に見えているので、止める気もさらさら無い。
・・・とりあえず、今のところは、であるが。


そう言えば。『言葉』で少し、思い出した。

最近、ブログやSNSを通じて、画面の向こう側におられる方々と言葉を交わす機会も殊更に増えてきたのだが、中には(アラシやスパムという訳ではなく)個人的なお知らせや宣伝めいたコメントを、コピペであらゆる処に貼りまくるといった方が少なからずいることに今、結構な衝撃を受けている。
最初それに気づいたときは、まさかそんな(失礼な)、と己の目の方を疑いたくなったものの・・・次第にネット上ではそれが当然のように罷り通っていると分かると、甚だ情けない思いを強くしたものだ。

自分にとっての『言葉』とは、何と言うか・・・上っ面だけの空虚なやり取りをするためのものでは、断じて無い。
況してやネット上では、実際に面と向かって表情や声音を読むといったことが出来ないからこそ余計に、相手の言葉を真摯に受け止め、それを発した折の状況や言外の想いといったものを出来うる限り慮るのが、至極当然なのだと思ってきた。
人間が人間に『対する』、対話をする、というのは、つまりはそういうことではないのか。
そしてそこにこそ真の『関係』は生まれるのであって、対話のない関係など所詮は無関係、そこには思い遣りや無償の愛といった尊い人間感情など、ハナから現れるべくもないのではないか。

無論、軽い冗談を交わしたり、些細な疑問を投げかけてみたりといった気軽なキャッチボールの楽しさも、きちんと相手の心に向き合うからこそ味わえるのであって、誰彼構わず・・・そう、まるで生気の無い街頭のビラ配りよろしく、余りにも不躾に侵入してきた言葉に対しては、全くもって何をか言わんや、なのである。


・・・ここまで書いてつと読み返すと、自分でも何やら明治生まれの頑固爺が『最近の若者』に物言いを付けているようだ、と思わなくもないのだが。
それでもやはり、どんなに些細な事であっても、本人にとっては決して譲れない事の一つや二つ、誰しも必ずあるものなのだ。

古の昔よりこの国において語り継がれてきた『言霊』という言葉は、決して伊達ではない。
言葉には確かに、ある種途方もない力が宿っている。
言葉を大切にするということは、即ちそれらを発し、受け止める人の心を、延いては他の在りと在る『存在』を大切にするということ。
我々一人一人がもう少し、それに深く気づくことが出来たなら・・・この世知辛い人の世ももう少し生き易くなるのではないか、と、最近しみじみ思うのである。
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by misa_diary | 2006-06-07 16:22 | diary |
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